【トロッコ問題3】プロセス主義者の答え(道徳は絶対である)
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今回紹介するのは、プロセス主義です。
本来は、カント主義だったり義務論だったりと表現されることが多いですが、ここでは分かりやすくプロセス(過程)主義という言い方をします。
こちらは、結果主義と言われる「功利主義」とは真逆の考え方です。プロセス主義は、結果よりもそこに至るまでのプロセス(方法)を最重要に考えます。
道徳は絶対遵守
功利主義が結果によって手段が道徳が不道徳かの見方を変える(同じ殺人行為でも5人を救うために1人を殺すことは良いことだが、1人を救うために5人を殺すのは悪いことする)のに対して、プロセス主義は殺人行為が悪いことという道徳があるならそれはいかなる場合でも絶対に守るべきだ!と主張します。
プロセス主義は、結果(5人を助けるという目的のための下心)によって道徳(人を殺すのが悪い事か否かの基準)をコロコロと変える事は不道徳であり秩序の崩壊を招くと功利主義を批判します。
プロセス主義(カント主義)の考えでは、街で通り魔が人を殺すことで捕まる(殺人が悪とされる)のであれば、それと同じように、5人を救うという結果があったとしても、人を殺すというプロセスは悪いことであり結果に関係なく罰せられるべきだと判断します。ですから、第二の場面で太った男を突き落とさない(殺人は悪いことという道徳がある)のであれば、最初の場面(直感的にあまり悪いことに感じられない場合)でもレバーを引くべきではないと主張します。
つまり、結果によって殺人が肯定される(道徳が覆される)ことはおかしいと主張するのです。
「確かにな。。状況によって殺人が許容されるのであれば"殺人=悪い事"という道徳が矛盾によって成り立たなくなってしまうのかもしれない...。それが秩序の崩壊を招くというのはわかる気がする..。」とここまで見た方なら考えるでしょう。
それは真実であるか。
突然ですがあなたは、人に嘘をつくのは、悪い事だと思いますか?
恐らくですが、ほとんどの方は「もちろん」と答えるでしょう。(変わり者や裏を質問の突こうとしたので無い限り)
じゃあ例えば、こんな状況でも嘘をつくべきでないと思いますか?
あるナイフを持った男が殺気立った様子で、あなたの元へやってきました。
そして「お前の家族(自分にとって大切な人)はどこにいる?さっさと教えろ!!」と言ってきたとします。
その男はきっとあなたの家族に恨みを持っていて殺すつもりのようです。
幼い頃から嘘は悪い事だと教えられてきたあなたは、その男に真実(家族の居場所)を告げますか?
恐らくほとんどの人は、そのような状況になった場合、男に「家族のいない場所(ウソ)」を教えるでしょう。
この思考実験が示す事実はシンプルです。
普段はみんな、「嘘つきは泥棒の始まり」などと言い、嘘をつく行為は悪い事だと他人には教えますが、嘘をつくのが良い場合もある(つまり嘘をつく事自体が悪い事では無い)と心の底では考えているためです。
しかし、プロセス主義の始祖であるカントの考えでは、嘘を付いてはいけないという道徳がある以上、「そのような場合でも嘘を付くべきではない」と主張します。なぜなら、悪い人相手なら嘘をついてもいいというようにすると、じゃあ敵なら嘘をついてもいいよね。自分達の仲間じゃない人が相手なら嘘をついてもいいよね。と広がっていってしまいます。(道徳の崩壊を招く)
このようにプロセス主義者は、結果(下心)によって道徳をねじ曲げる行為は不道徳であり秩序の崩壊を招きかねないので、いかなる場合でもルール(道徳)は絶対に守らなくてはならないと主張します。
次回予告
次回は、功利主義ともプロセス主義とも全く異なる異端の思想、リバタリアニズムとプラグマティズムの回答を紹介します!(8/28更新予定。)