科学と哲学ラボ

科学と哲学ラボ

〜変化の激しい時代を生き抜くための「知恵」を探求する部屋〜

 MENU

「なぜ人は密集せずにはいられないの?」進化心理学

f:id:Romanoff:20200710232144j:plain

 

こんにちわ。ろまのふです。

 

非常事態宣言が解かれてから、やはりというべきか「新型コロナウイルス」の第二波が来てしまいましたね。

 

要因は諸説ありますが、非常事態宣言解除の後の、第二波ですから、やはり、人々の接触が増えてしまったことによるものだと思います。

 

感染が拡大してしまうので不必要な「控えるように」と言われてるのに、時折、店に行けば、ありえないくらい人が密集していたり、パンデミックの最中なのに、あちらこちらで、平然と人が出歩いているのはなぜだろうと疑問を持つ方も多いと思います。

 

その疑問を、今回は進化心理学の観点から考察したいと思います。

 

 

私たちの「遺伝子」は社会的でなければ死ぬと思ってる?

 

 

「人は群れる生き物」

 

と、よく言われるが、確かに人間は、群れるのが好きだ。

 

さらに言うと、群れないと生きていくことはできない。

 

それは人間が、孤独では生きていけないように「プログラム」されているためです。

 

「プログラムされている」というのは、

神様がそうしたから!..という話ではなく、人類が過酷な生存競争の中で、取捨選択の結果に受け継がれた「習性」ということ。

 

 

私たちの祖先は取るに足りない種族だった

 

遠い昔、現代の凄まじい科学力がなかった頃の私たちの祖先は、地球上で、取るに足らない貧弱な存在でした。

 

これは、遠い昔のサバンナでの情景。

ライオンが一頭のシマウマをしとめ、まず内臓などの一番栄養価の高い部分を食べます。

そして、ライオンが去ったあと、様子を伺っていたハイエナが、残った肉を食べに来ます。

 

そして、それらの様子を怯えながら伺っていた、弱い私たちの祖先は、ハイエナや他の動物たちが去った後に、ようやく虫を払い除けながら、獲物にたどり着くことができました。

 

さて、シマウマの死体は、大型動物たちに食べつくされ、もはや骨と皮しか残っていません。

 

私たちの祖先は何を食べたのでしょうか?

 

そう、その『骨』です。

 

実は、骨の中は、ドーナツのような空洞になっていて、骨髄という、柔らかい組織が詰まっています。

 

当然、中に肉が詰まっていようと、それを覆う骨が硬いので、他の動物には食べる手段(知恵)がありません。

 

弱かった私たちの祖先は、力では他の動物にも勝てないので、その代わりに『知恵』を使うようになりました。

そして、他の動物達の食べ残しである『骨』を石や石器などの道具を使うことで、中の骨髄を吸い出して食べることで生き延びました。

 

つまり、そもそも人類(私たちの祖先)は、「負け組」だったが故に知能を発達させたということです。

 

やがて、知恵を発展させた人類は、1人ではハイエナに敵わなくても、効率的に協力すれば、勝てるということを学んでいきました。

 

やがて、村や集落を作り、食物を育て始めます。

 

 

私たちは、誰かの助け無しでは生きられない。

 

ご存知だと思いますが、イルカの赤ちゃんは、生まれてすぐに泳ぐことができるし、シマウマの赤ちゃんは、生まれてからすぐに歩くことができます。

 

一方で、人間の赤ちゃんはどうでしょう?

 

歩くことも、這うことも、立つこともできないですよね。

 

もし、生まれてすぐに立ったり、歩いたりできる赤ちゃんがいたら、それは恐怖です。

 

つまり、人間の赤ちゃんは、未発達な状態で生まれてくるということ。

 

人間は、道具を作ったり使えるようになるため、脳を発達させ、手を使えるように、二足歩行になりました。

脳を発達させたことで、頭蓋骨が大きくなり、直立歩行に進化するにあたっては、バランスを取るため腰回りが細くなりました。

 

腰回りが細くなるということは、産道が狭まるということです。

母親の産道が狭まったことと、赤ちゃんの頭が大きくなったことにより、母親の出産はより困難なものとなり、命がけのリスクを背負うことになります。

 

よって、母親は、子供が大きくなりすぎる前に子供を産む必要に迫られ、人間の赤ちゃんは、未発達の段階で生まれてくることになりました。

 

このように人は、未発達の状態で生まれてきます。

それは、生後すぐに動き回れるイルカやシマウマと違い、より多くの大人の援助を必要とするということです。

 

社会的な動物である人間(私たち)は、人からの助けを多く得ることを前提に生まれてくるのです。

 

村八分〜嫌われることは死を意味していた

 

科学の発展によりライフスタイルが多様化する以前の時代では、1人で生きていくことは不可能でした。

 

現代とは違い、小さな集落で生きていた人類は、生きていくためには、個々の密接な協力が必要不可欠でした。

 

母親は、一人で育てていくことは、今以上に相当な困難でしたし、外は猛獣だらけ、たった一人では、食事にありつくのも一苦労です。

 

集団とはぐれてしまう(一人になってしまう)ことは、危険な状態を意味していました。

 

さらにいうと集団(みんな)に嫌われてしまうことは、援助や協力が得られなくなってしまう『=死』を意味したからです。

 

人は、病気になるより、孤独の方が怖い。

 

説明したように、現生人類の私たちは、群れること(協力すること)で生き残ってきた動物なのです。

 

そして、人類学者によると私たちの脳は、2万年前からそれほど変わっていません。

 

厳しい環境を生き抜いた私たちの遺伝子には、「孤独は死を意味する」という概念が深く植え付けられているのです。

 

そのため、社会的な関わり合いが無い(孤独を感じる)と、「不安」が強くなってしまい、「免疫低下」や「病気」「鬱」に繋がってしまいます。

 

実際に、心を許せる友人が1人もいない人(孤独な人)は、1日タバコを10箱吸っているのと同じくらいの健康被害があるそうです。

 

進化の上で、コロナで危険だと分かっていても、人がいる場所にいると安心する。

 

赤信号みんなで渡れば怖くない

 

という心理が表すように、人間は、病気になってしまうよりも、皆んなとはぐれて一人になってしまう方が怖いのです。

 

 

 

 

©︎2018 科学と哲学ラボ, Philosophy & Psychology-Lab, ろまのふ.