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現代科学では、解決できない【クオリア問題】

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「科学」

 

 

そう聞くと、「期待を膨らませる人」もいれば、「不安を感じる人」もいるのではなかろうか?

 

それは、人類を地球最強の種へと押し上げたもの。

たくさんの命を救うためにも、たくさんの命を破滅させるためにも利用できてしまう、恐るべき力を秘めた「科学」

 

やがては僕らの仕事を奪うと言われる、近年さらに発展の著しい「AI」

その人の性格や将来かかり得る病気まで全てを分析してしまう「遺伝子技術」

全く同一の生命を複製できてしまうという「クローン技術」

人類を救う壮大な「火星移住プロジェクト」

 

「もはや、このままいくと不可能な事はない。」

「人類はこの世の全てを網羅してしまうのか。」

 

とか思わないだろうか?

 

だが、しかし...


実は、現代の科学の手法では、解決できる見込みが全く見えていない問題は、数多くある。


不確定性原理」しかり、「不完全性定理」しかり、「こころ問題」しかり、「クオリア問題」しかり..

 

実は、人類の科学探究は、すでに壁にブチ当たっている

科学は進み過ぎたが故に、どう頑張っても解決できないという「限界点」までも明らかになってしまった。

 

今回は、これらのうちの「クオリア問題」について話そうと思う。

 

 

なぜ、誰も「青」を説明できないの?


これを説明できる人がいるだろうか?


初めに言っておくと、

 

この「」がなぜ「」に見えているのか、なぜそう見える必要があったのかは、現代科学の方法では当分解決できる見込みのない問題だ。

 

もしかしたら、あなたにとっての『』が、他の人にとっては『』に見えているかもしれない。

 

つまり、他の人にはこう見えているかもしれない→


もし誰かが、

「青なんて、簡単に説明できるよ! 海の色じゃん!」

と言ったとしても


それは、青色に見えるものの例を、上げているだけ。

結局、青い物をいくら網羅したところで、『青』そのものの説明は何ら出来ていないのだ。

 

もし誰かが、

「えーっと、青は.. 水色の濃くなったバージョン!」

と言ったとしても、今度はその水色の説明ができていない。


「面倒くさいなー。青は、あの、落ち着いていて綺麗なやつだよ!」

と言ったとしても


それはただ単に、その人の青への感想を述べているだけで、青の原理はなんら説明できていない

 

それはまるで、

「椅子って、何で出来てるの?」という問いに対して、「ああ椅子ね!大抵は4脚で、座れることができて、高いものを取るときに踏み台にできて便利なものだよ☆」

と返しているようなものだ。

 

ただ感想を述べているだけで、椅子の原理(材質)については何ら説明できていない。

 

そもそも、僕らが青とか赤とか「色」を伝え合う時も、色を表す「言葉」をやりとりしてるだけで、「色」そのものについては、一つも伝わっていないのだ。

 

もしかしたら、あなたにとっての「ネイビー(紺色)」は、他の人にとっては「ダークグリーン(深緑)」に見えているかも知れない。


だから、みんなが「森は緑豊かだよね!」とか言っていても、

もしかしたら、緑を緑に見えているのはあなただけで、他の人には青色の木々でいっぱいの森が目に映っているかも知れない。

 

だから本当は、世界であなただけが、色の認識(視覚機能)がずれていて、他の人の「目」には、

 

青=緑

赤=黄

ネイビー=ダークグリーン

 

と見えているかも知れない。

 

そして僕らは、視覚事態を共有できないので、相手に青はどんな色に見えているのか?それはどうやっても確かめようがない。

 

原理的にわかり得ないのだ。

 

あなたに見えているのは「ニセモノの世界」かも知れない

 

じゃあ、その人の脳を機械とつないで、視覚情報を画面に表示すれば良いじゃん。と思う人もいるかも知れないが、それも結局、その画面を見ているのは、あなたの目(偏ったセンサー)なので意味がない。

 

冒頭にも言ったが、現代科学では、そもそも、なぜ青を青として認識できるのか?私にとっての青は本当に青なのか?がわかっておらず、解明できる見込みがないのだ。


しかもこれは、「色(視覚)」だけの話ではない、味覚だろうが、嗅覚だろうが、聴覚だろうが、現代科学では、本質を何一つ理解できていない。

 

そして現代科学どころか、人間は、一生「視覚、嗅覚、聴覚」などの本質を理解することができないという考察もある。

 

なぜなら、僕らは世界を読み取るセンサーに過ぎないからだ。

 

つまり、3D(立体)の空間デジタルカメラのレンズで読み取り、2D(平面)のモニターのピクセルに変換して表示しているのと同じように、僕らも人間も、世界をありのままに感じているのではなく、なんらかの形で変換して認識しているに過ぎないからだ。

 

当然、どんなセンサーでも認識できるものと認識できないものがある。

 

犬は人間の10万倍の嗅覚を持っている。蝶には人間には見えない紫外線が見えるし、人間は、彼らにはない圧倒的な思考力を持っている。

 

これほどの違いはないにせよ、同じ人間の間にだって個体差がある。

 

共有できる点があっても、結局は、あなたに見えている「それ」はあなたにとっての「それ」でしかないのだ。

 

では、認識される前の「本来の色は?」「本来の匂いは?」という疑問が当然、湧いてくるだろう。

 

そして、現代科学の手法では、センサーで認識できるものや、その傾向は解明しても、センサー(認識)そのものの原理や、認識される前の世界の本当の状態については、決してわかりえないのだ。

 

これらの理論を、偉大なる哲学者エマニュエル・カントは簡潔にこう述べた。

 

「人間は物(モノ)自体にたどり着くことは決してできない。」

 

カントは、人間が認識する前の世界の本当の状態のことを「物自体」という言葉で表現した。

 

人間のセンサーで認識できる範囲の外側のこと。

つまりは、本当の「」のことだ。

 

私が「」に見えている色は、本当は、どんな色をしているんだろう?

 

センサーで読み取って変換する前のこれは一体、どんな姿をしていたんだろう?

 

それらは、現代科学の手法では、解決できる見込みのない問題だ。

 

結局、人間は、「人間というセンサー(主観)」が認識できる範囲でしか、世界を知ることはできない。

 

人間が人間である限り、世界の本当を知ることができない。

 

そして科学者や哲学者たちは、それぞれで異なる「主観」のことを、「クオリア」と呼んだ

 

科学の限界、そして人間という種の限界

当然、この衝撃の事実に多くの科学者、哲学者は絶望した。

 

しかし、皆さんは絶望しないで欲しい。「その色」が本当に「その色」かなんてわからなくても、実際に僕らは青い海を見て「美しい」と思えるし、人生を楽しく生きる上では、何一つ問題無いのだ!..笑

 

 

 

 

参考文献

 

 

純粋理性批判 1 (光文社古典新訳文庫)

純粋理性批判 1 (光文社古典新訳文庫)

 

 

嘔吐 新訳

嘔吐 新訳

 

 

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