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【超断捨離入門】お金持ちの家がキレイな理由と10分で片付けられる魔法の思考術

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【トロッコ問題5】脳科学者の考察「そもそも道徳なんて存在しません。」

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正義とは何か。

 

ロッコ問題を初めとする数々の哲学的命題であらわになってしまった状況次第で意見がコロコロ変わる人間の正義。以前までの記事、トロッコ問題1〜4については、こちらでまとめたので参照。

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ロッコ問題の一番重要な点(問題提起)については、シリーズの初頭【トロッコ問題1】で解説されています。

 

5人を救うために1人を殺すか、5人を見殺しにするか...それが本質的には'同じ選択'であったとしても、人々は直感的に、ある場面ではそうするべきだと判断し、許されないことだと判断する。そこには明確な基準はなく、誰もが納得する答えを出せたものはいない。


これは、人々のあまりに曖昧で基準が不安定な「正義」に対する宣戦布告であった。

 

人々の頭を抱えて悩ませてきたトロッコ問題。

 

そんな古代から続く正義論争の中に「ジョシュア・グリーン」という恐るべき異端児が現れた。

 

今回紹介するのは、心理学者/哲学者のジョシュア・グリーン(

Joshua Greene (psychologist) - Wikipedia

)であり、ジャーナリストのジョシュア・グリーン(同姓同名であるが別人)の方ではないので注意。

 

ジョシュア・グリーンは「心」や「道徳」について議論するなら、心理学や脳科学を学ぶことが必須だと主張しており、実際に哲学者としてだけではなく心理学者や脳科学者としての経歴も持っている。

 

ジョシュア・グリーンは、紀元前から続いた、「道徳とは何か?」を巡る論争に終止符を打ってしまったと言って良いだろう。

 

なぜなら彼は、脳科学的アプローチにより「道徳」の正体を突き止めてしまったのだ..。

 

ではさっそく、ジョシュア・グリーンの偉大なる功績を述べるとする。

 

彼は、心理学者としての経歴を活かし、トロッコ問題に『fMRI(機能核磁気共鳴断層装置)』を持ち込んだのだ。

 

ここで、fMRIの説明を軽くしておくと、現代の脳科学や心理学の分野の実験で使われる、脳をスキャンするための強い磁力を持った巨大なマシーンの事。(ここで1つ余談だが、fMRIは優秀な空間把握能力のために磁力があまりに強いので、金属の鼻ピアスなどをした状態でfMRIに入ると普通に引きちぎれる..。なので当然、実験前には金属類の持ち込みは厳重にチェックされる。)

 

試験者にfMRI装置の中に入ってもらい、その状態で課題を与えることで、思考と脳の活性化する部位の関係性を調べる事ができるというハイテク装置。(何かを考えた際に、その時、脳のどの場所が関わっているのかを調べる事ができるという事。)

 

という感じで、いわゆる、最新科学によって生まれた思考と脳の関係を調べるためのハイテク装置という事だ。

 

彼は、トロッコ問題の2つの状況を問いかけられた被験者の脳の状態をfMRIでスキャンすることにより、次のような決定的な違いが起きている事に気がついた。

 

最初の状況(運転手が5人を助けるために線路切替のレバーを押し1人を犠牲にする場合)

では、前頭前野背外側部(DLPFC)と呼ばれる場所が活性化する。

2番目の状況(橋の上にいる人が5人を助けるために目の前にいた1人を犠牲に突き落とす場合)では、前頭前野腹側部(VMPFC)と呼ばれる場所が活性化する。

 

そして最新脳科学で判明したその二つの部位の役割は、 こうなっている。

 

前頭前野背外側部(DLPFC)

計算や論理、知的な推論や合理的な判断などの役割をする部位

 

前頭前野腹側部(VMPFC)

直感的な思いや感情を大きく左右する部位

 

 

 

そう、つまり古来から僕ら人類を悩ませてきた「道徳」の正体とは、魂とか神様みたいな目に見えない高潔なモノなんかではなく、ただ単に脳の仕組みだったのである。

 

レバー引く場面のような、殺人という情景からは一歩引いた表現をされた場合(殺人をする事には変わりないが刺し殺したり突き落とすよりも直接的でなく想像しずらい。)は、前頭前野背外側部(DLPFC)が活性し、計算や論理的な思考を司る領域によって判断される。

 

逆に、橋の上で人を突き落とす場面など、殺人を直接的で想像しやすい場面で表現した際には、前頭前野腹側部(VMPFC)が活性化するため、感情的な部分が働いてしまうため、感情的にNOと判断される。

 

同じ、5人を助けるために1人を犠牲にするという状況でも、レバーの時と橋の時では真逆の結果になってしまうのは、脳のどの部分が活性化しやすい言い方をしたかどうかというだけの話だったのである。

 

つまりこうだ。

レバーの状況のような表現

前頭前野背外側部(DLPFC)が働く

考える方向:合理的な判断

橋の上の状況のような表現

前頭前野腹側部(VMPFC)が働く

考える方向:感情的な判断

 

その後、心理学者や脳科学者達は突き止めてしまった。脳に損傷を受けて、前頭前野腹側部が働かなくなってしまった人間は、橋の状況の場合でも、太った男を躊躇なく突き落とせるようになるのだ。(情動を左右する部位で考えられなくなるため、5人のために1人を犠牲にするべきと判断するようになる。)

 

当然ともいうべきか、このあまりにニヒル(虚無)な発見は、「道徳心は神様が人間に与えたナントカだ!」とか「道徳心はそれぞれの魂の中に宿る神聖なものなのです..。」などと主張していたスピリチュアルな人たちの反感を買うことになる。

 

それはともかく、

 

こうした、ジョシュア・グリーンの偉大なる功績によって、道徳が脳の活動と結びつけられるようになった。そして脳科学や心理学を用いた研究が道徳哲学(倫理学)の主流になっていったのである。

 

 

 

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正義を語る上で必ず直面する壁【トロッコ問題全集】Vol.1〜Vol.5

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見やすいようにするため、トロッコ問題シリーズをまとめました〜。

 

「正義とは何か?」

最近のコロナウイルス騒動に続く社会の急激な変化、そしてそれに伴う言い争いを目にした事で、「正しいとは何だろう?」と考える人が増えたと思います。

そして、正義(正しさ)を議論するにおいて必ずと言っていいほど持ち上がるのが「ロッコ問題」である。

 

〜5人を救うために1人を犠牲にするのが良い場合と許されない場合があるのはなぜ?〜

 

【トロッコ問題Vol.1】トロッコ問題の問題提起

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【トロッコ問題Vol.2】功利主義者(結果主義)の回答

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【トロッコ問題Vol.3】プロセス主義者(カント主義)の回答

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【トロッコ問題Vol.4】リバタリアンとプラグマティストの回答(身も蓋もない..)

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【トロッコ問題Vol.5】脳科学者の回答(破壊された道徳..)

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【トロッコ問題4】リバタリアニズムやプラグマティズムの回答

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ロッコ問題は、プロセス主義(義務論)と結果主義(功利主義)の対立のジレンマを扱った思考実験なのですが、番外編として、別の思想も紹介します。

 

きっと、トロッコ問題を問いかけられた多くの人はこう考えるでしょう。「家族とか友達とか助けたい人がいる方を助ける!」

 

当然ですが、それの回答に功利主義者やプロセス主義者は真っ向から反対します。

しかし、今回紹介する方々はそんな邪道を堂々とやってのけるである....。

 

リバタリアンリバタリアニズム主義者)の場合

 

リバタリアニズム(libertarianism)とは「自由こそが最強の正義であり人間の権利。個人の自由を剥奪するものは全て悪」という考え。

 

自由主義と表現されることも多いが、同じく自由主義と表現されるリベラリズム(liberalism)と被るのでややこしい。リベラル派との違いは、リベラルが自由を大切にしつつも、平等(功利主義的な考え)を優先するのに対して、リバタリアンは完全なる自由を志す。

彼らは経済学の父アダム・スミスが言った「神の見えざる手」を信奉する。権力を持った組織や勢力が余計な事をするから世界がおかしくなるんだ。だから何もせずに自由に放置しておけば、世界は落ち着くところに落ち着くんだよ。という考え方。

 

リバタリアニズムに乗っ取って、殺人を禁止する法律(権力による強制)がなかった事を考えてみよう。

 ほとんどの人は「殺人を禁止する法律がなかったら、世界は殺人で満ち溢れてしまうよ!」と思うだろう。しかし本当にそうだろうか?その仮説が正しいなら、法律のなかった時代は、人々は毎日争いが絶えず血にまみれて暮らしていたいうことになる。(もちろんそんな事は無い。)

もし、ある村の男が同じ村の男を殺したとしよう。すると、その男は殺した男の家族によって復讐を受ける。それを見ていた村の他の人たちはどう思うだろうか?きっと「俺もあいつを見習って嫌いなやつを殺そう!」とはならないだろう。なぜならそのために報復を受けるのは面倒だからだ。

 

法律で規制せずとも個人の自由に任せることによって、「人を殺すと報復されるからやめておこう」という様に神の見えざる手によって落ち着くところに落ち着くのではないだろうか?

確かに、いつの時代も大量殺人を犯しているのは「自由な個人」ではない。人々を強制する「国家(権力で人々の自由を奪う組織)」による仕業である。

 

リバタリアニズムの回答

ロッコ問題も、リバタリアニズムの手にかかればこうなるだろう。

「別にどちらを選ぼうと自由だ。5人側を助けたいならレバーを引けばいい。まあその行動の後でお前が被害者の遺族に殴り殺されたとしても、自己責任だがな。」

このような場合も個人の自由に任されるということ。そして、その結果がどんなことになろうとそれも自己責任ということである。

 

う〜ん。辛辣ですね。。

 

 

プラグマティスト(プラグマティズム主義者)の場合

 

プラグマティズム(pragmatism)は「正しいかどうかを考えるのは意味がないので、その決定が実際に役に立つかどうかだけで判断しよう」という考え。

 

プラグマティズムは結果を重視する点で「功利主義」と似ているが、少し違う。

功利主義が、快楽の最大化という道徳観を重視するのに対して、プラグマティズムは、その知識や選択が実生活でいかに役にたつか?(結果が良いのあれば道徳はどうでもいい)という少し冷めた科学的なアプローチを取る。

 

プラグマティストの回答

ロッコ問題をプラグマティストはきっとこう考えるだろう。

 

「正しいかどうかは置いておこう。後々の事(結果)を考えると、レバーを引いたり太った男を落とす行為は、5人を救うためとはいえ「殺人」になってしまう。一方で何もしなかった場合は、ブレーキが壊れたことによる不運な事故として処理されるだろう。

犠牲にした1人の遺族に訴えられることは確実だろう。それに、5人を救った事が考慮されずに犯罪者として罰を受けてしまう可能性がある。もし考慮されて無罪になったとしても、そこまでのやり取りで精神的に疲れ切ってしまうだろう。

よし、裁判で不利にならないように何もしない!

 

なんという合理的思考。。

 

プラグマティストは、道徳(プロセス)には一切こだわらずにあくまで実用(法律や結果)を考慮した上で考える。まあ、確かに赤の他人を助けるためにレバーを引いて、自分や自分の家族の人生が台無しになってしまったら元も子もないだろう。

 

彼らは、自分が法的に罰せらない状況、もしくはその5人が役に立つ人間、家族や親友、もしくは大統領やビルゲイツのような大富豪慈善家だったとしたら、1人を犠牲にしてでも助けていただろう。(重要な人間が1人側の場合はそちらを優先する)

やはりこの点において、数を重視する功利主義とは異なる。

 


次回予告

次回は、トロッコ問題の脳科学者の考察をお話しします。トロッコ問題のような道徳の思考実験をした際に最初(レバーの状況)と2番目(橋の上の状況)で、人々の意見が真逆に分かれてしまうのか?
その謎がついに現代脳科学によって解き明かされます!

 

 

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【トロッコ問題3】プロセス主義者の答え(道徳は絶対である)

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前回までの講義はこちら

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今回紹介するのは、プロセス主義です。

 

本来は、カント主義だったり義務論だったりと表現されることが多いですが、ここでは分かりやすくプロセス(過程)主義という言い方をします。 

こちらは、結果主義と言われる「功利主義」とは真逆の考え方です。プロセス主義は、結果よりもそこに至るまでのプロセス(方法)を最重要に考えます。

 

道徳は絶対遵守

 

功利主義が結果によって手段が道徳が不道徳かの見方を変える(同じ殺人行為でも5人を救うために1人を殺すことは良いことだが、1人を救うために5人を殺すのは悪いことする)のに対して、プロセス主義は殺人行為が悪いことという道徳があるならそれはいかなる場合でも絶対に守るべきだ!と主張します。

 

プロセス主義は、結果(5人を助けるという目的のための下心)によって道徳(人を殺すのが悪い事か否かの基準)をコロコロと変える事は不道徳であり秩序の崩壊を招くと功利主義を批判します。

 

プロセス主義(カント主義)の考えでは、街で通り魔が人を殺すことで捕まる(殺人が悪とされる)のであれば、それと同じように、5人を救うという結果があったとしても、人を殺すというプロセスは悪いことであり結果に関係なく罰せられるべきだと判断します。ですから、第二の場面で太った男を突き落とさない(殺人は悪いことという道徳がある)のであれば、最初の場面(直感的にあまり悪いことに感じられない場合)でもレバーを引くべきではないと主張します。 

つまり、結果によって殺人が肯定される(道徳が覆される)ことはおかしいと主張するのです。

「確かにな。。状況によって殺人が許容されるのであれば"殺人=悪い事"という道徳が矛盾によって成り立たなくなってしまうのかもしれない...。それが秩序の崩壊を招くというのはわかる気がする..。」とここまで見た方なら考えるでしょう。

 

それは真実であるか。

 

突然ですがあなたは、人に嘘をつくのは、悪い事だと思いますか?

 

恐らくですが、ほとんどの方は「もちろん」と答えるでしょう。(変わり者や裏を質問の突こうとしたので無い限り)

 

じゃあ例えば、こんな状況でも嘘をつくべきでないと思いますか?

あるナイフを持った男が殺気立った様子で、あなたの元へやってきました。

そして「お前の家族(自分にとって大切な人)はどこにいる?さっさと教えろ!!」と言ってきたとします。

その男はきっとあなたの家族に恨みを持っていて殺すつもりのようです。

幼い頃から嘘は悪い事だと教えられてきたあなたは、その男に真実(家族の居場所)を告げますか?

 

恐らくほとんどの人は、そのような状況になった場合、男に「家族のいない場所(ウソ)」を教えるでしょう。

 

この思考実験が示す事実はシンプルです。

普段はみんな、「嘘つきは泥棒の始まり」などと言い、嘘をつく行為は悪い事だと他人には教えますが、嘘をつくのが良い場合もある(つまり嘘をつく事自体が悪い事では無い)と心の底では考えているためです。 

しかし、プロセス主義の始祖であるカントの考えでは、嘘を付いてはいけないという道徳がある以上、「そのような場合でも嘘を付くべきではない」と主張します。なぜなら、悪い人相手なら嘘をついてもいいというようにすると、じゃあ敵なら嘘をついてもいいよね。自分達の仲間じゃない人が相手なら嘘をついてもいいよね。と広がっていってしまいます。(道徳の崩壊を招く)

 

このようにプロセス主義者は、結果(下心)によって道徳をねじ曲げる行為は不道徳であり秩序の崩壊を招きかねないので、いかなる場合でもルール(道徳)は絶対に守らなくてはならないと主張します。

 

 

次回予告

次回は、功利主義ともプロセス主義とも全く異なる異端の思想、リバタリアニズムプラグマティズムの回答を紹介します!(8/28更新予定。)

 

 

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【トロッコ問題2】功利主義者の答え「5人のためなら迷いなく1人を殺します!」

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前回までの内容はこちら(トロッコ問題において重要な点を説明していますので、こちらを先に読むことをお勧めします。)

 

今回は、正義について語る上で絶対に必要な知識である「功利主義(utilitarianism)」を極力わかりやすく紹介します。

 

一度くらいは日常や漫画で「あいつは功利主義者だ」とか言うフレーズを耳にしたことがある人は多いと思います。。

では、その功利主義者を定義づける「功利主義」とは一体どんな主義なのでしょうか?

 

 

クッキーの配分でわかる功利主義

例えば、ここにクッキーが10枚があるとします。そして現状では、クッキーの配分はこのようになっています。

ー10枚のクッキーの配分ー

リッチ君=6枚 

ミドル君=2枚 

ミドロ君=2枚 

プア君=0枚 

プオ君=0枚 

格差社会ですね。。リッチ君は6枚も持っているのにプア君とプオ君は1枚も食べることができません。

プア君達はクッキーを1枚も食べれないことで、悲しんでいます。しかし、多くクッキーを持っているリッチ君は6枚分の幸せを本当に感じれているのでしょうか?

例えば、お腹が空いている時におにぎりを1つ食べたら幸せになりますが、お腹いっぱいに食べた後で、おにぎりを食べても、絶対、空腹の時に食べたのと同じ美味しさ(幸福)は感じませんよね。(つまりある一定の数を越えるとその物から得れる幸福が減るということ)このような事を経済学用語で限界効用理論と言います。

 

そういう理屈でここでは、クッキー2枚でお腹いっぱいになるとして、3枚目以降のクッキーのポイントは、半分の0.5とします。それでは行きましょう。

 

ー10枚のクッキーの配分と幸福値ー

リッチ君=6枚 +4ポイント(3枚以降は0.5)

ミドル君=2枚 +2ポイント

ミドロ君=2枚 +2ポイント

プア君=0枚 0ポイント

プオ君=0枚 0ポイント

 

幸福の合計=6ポイント

 

これを、余分に持っているリッチ君から4個取り上げて、プア君とプオ君に2枚づつ分けたとしたらどうなるでしょうか。

 

ー新しい10枚のクッキーの配分と幸福値ー

リッチ君=2枚 +2ポイント

ミドル君=2枚 +2ポイント

ミドロ君=2枚 +2ポイント

プア君=2枚 +2ポイント

プオ君=2枚 +2ポイント

 

幸福の合計=10ポイント

 

リッチ君の幸福は減ってしまいましたが、それでも+以上をキープしています。そして、全員が平等にクッキーを食べれることになり、その結果、全体の幸福ポイントの合計値も6から10に上昇しました。

 

これが功利主義です!!

 

このように、功利主義は全体の幸福の最大化を最重要とします。 

 

一部の人の幸せよりも、皆んな(多くの人)の幸せを優先するべきだよね〜という考え。

 

「なるほど〜、金持ちとか一部を優遇せずになるべく多くの人を幸せにしようって考えか〜、それって凄くいいことじゃない?」と思う人は多いでしょう。

 

しかし、先程のように功利主義は全体の幸福の最大化(皆んながクッキーを食べれること)を第一に考えるため、一部特権階級のリッチ君から無理矢理クッキーを取り上げる(いわば権利の侵害であり略奪行為)ということもやってのけます。

 

つまり、嫌がる金持ちからクッキーを取り上げるという行為自体は悪いことだけど、「なるべく多くの人を幸せにする」という結果のためならやむを得ないよね!というように考えます。

 

そのため功利主義は、最大多数の最大幸福結果主義とも呼ばれています。

 

 

功利主義者はレバーを押すし突き落とす

 

さあ、先ほど学んだ論理をトロッコ問題に置き換えるとどうなるでしょう。

殆どの人が察しがつくと思いますが、そうです。

功利主義の考え方では、トロッコ問題のどちらのパターンでも5人を救うために1人を犠牲にすることを選びます。

 

ここでは、人が1人が死ぬことで幸せのポイントがマイナス1000(つまり1000もの悲しみを生んでしまう)になるとしましょう。そして助かった時の幸せがプラス100それで考えてみるとこんな感じです。。

レバーを切り替えない/太った男を落とさない

5人が死ぬ = ー5000ポイント

1人が助かる = +100ポイント 

合計 ー4900ポイント 

 

 レバーを切り替る/太った男を落す

 1人が死ぬ = ー1000ポイント

5人が助かる = +500ポイント 

合計 ー500ポイント

 

悲しみの合計値(被害)が少ないのはどちらでしょうか?言うまでもなく、後者ですよね。

 

このような論理で、功利主義者はどんな状況だとしても5人を救うために1人を犠牲にするべきだと答えます。

 

なるほど、確かに合理的だ。功利主義の考え方のようにレバーを切り替えたり男を押せば、結果として悲しみは最小限に抑えられる。

 

しかし、私たちは人間なので、こう考えてしまうでしょう。

「でも、これで本当に良かったのだろうか?..」

 

「確かに、5人を救うことができ、結果としての悲しみの数は減ったけど、そのために殺人(酷いこと)をしてしまったという事実は変わらない。これで本当に良かったのだろうか?...」

 

...その疑問に答えるのは次回にするとします..!

 

次回は、功利主義とは全く異なる概念。プロセス主義について解説します。(8/25更新予定) 

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